四つ足魚の冒険記

ホーチミン行くマンの日々

私の教養論 

 

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ベトナムのどこかの写真



 今回は趣向を変えて師との雑談での教養についての持論をまとめておく。

 以前「教養主義の没落」という本を読んで、読みにくい本であったという記憶以上に著者の言う教養は滅んでしかるべきだし滅んでしまえという感想を持った。

 教養については様々な定義や議論がある。私はその議論に興味はなく自分の実生活で他人に対してどういう時に「この人は教養がある」と自分が思った瞬間を辿る。

 そういう瞬間とは日々のたわいもない雑談や酒場での会話の中である。

 何気ない会話の中で決して知識をひけらかすことなく、ただ会話の流れを乱さずにウィットに富んだ冗談や歴史的な逸話、あるいは難しい学者の理論を噛み砕いて話すことが可能な人物と一緒の時を過ごしたときに「あの人は教養があるな」とか「あの人物知りだな」とか「あの人の言っていた○○って話良かったな」って私は思う。

 そこから「あの人のような教養を得るために本でも読もう。」とか「まだまだ駄目な自分だなもっと本を読まなきゃ。」とか「この前言っていた○○って話を調べてみよう。」って人を突き動かすことができた時にそういった知識は継承されて教養の再生産がなされると私は思う。

 つまりは人を感化させ、その人が知らなかった物事についての考え方や新たな視点を生み出すことを通じた時、知識は教養となって輝くとともに次の世代へ継承されていくのではないだろうかというのが私の教養についての考え方である。

 知的探求心を惹起させ、それを若い世代へ再生産させる役割として教養があり、それこそが教養人の役目ではないだろうか。

 さてなぜ冒頭で私はそんな教養滅びてしまえと書いたか理解していただけただろうか。

 それは地域の伝統や習慣、景観を大事にしようと言って再開発を反対・阻止したり、移住者や新参者を理不尽にいじめたりした結果人口流出とともに町全体が老化して寂れていく現象と同じことが学者の世界の中で起きたのではないか。

 そうした所にうんざりして出てきて隣人がどこの誰だか分からないような都会のマンションに暮らすのであろう。

 まさに学者の専門性が特化して自分の専門以外には全く無頓着といった現象と同じではないか。

 中には都心や自分自身の住む地域貢献のために活躍する人もいるし、自分の専門外のことについて触れる時間を作って没頭して新たな思索や理論を練る先生もいるがそれも全体から見れば少数なのかもしれない。

 教養人、その最たるものが大学教授と言っていいのか分からないが、その知的財産を教養と言い張ってその上に胡坐をかき、知らないものを見下して知っているものだけで閉鎖的な仲良しクラブを作ってそのクラブが寂れてきて、自分自身のことを棚に上げて相変わらず他人を見下すことを言って糊口を凌いでいるだけにしか私には思えないのである。

 というか今思ったがそういう行為は確か丸山眞男がかつて「超国家主義の論理と思想」で唾棄したはずの軍人が一般人を地方人と称して区別して優越感に浸っていた構図と同じではないか!(間違っていたらごめんなさい)

 

 あとは経済的な問題も絡んでくると私は思う。

 そもそも学校、schoolは元々余暇という意味があってつまりそうした知的探求はある程度経済的に豊かな人が学問というものをやるということは誰かから聞いた。

 しかし今は師が言っていたように毎年コンパをやる度に学生を取り巻く経済環境が悪化しているのである。

 また国も研究開発に自己責任論と成果主義を盾にして金を出し渋っていることも拍車がかかっているように思われる。

 まさに学生の取り巻く経済環境と学者の取り巻く経済環境が悪化していく中で学生は就職を見据えてそれこそ金にもならないどころかそんな金のかかる教養の本なんか買わないし、研究者も研究資金をもらえるような研究ばかりに専念して長期的でコストの高い研究をしたがらない、やらないということが現場で起きているのではないか。

 

 もう十数年もすればこの国からノーベル賞を輩出することはできなくなくだろうし、その時になってやっと多くの人はこの国の科学技術水準が下がったことを否応なしに認めざるを得ないだろう。

 

 まあこんなことを考える奴は日本の中で居場所がないからこそベトナムに行こうと思ったのかもしれない。

 

 今回は頑張っている教養人の皆様へ私が恐れながらこの一曲を捧げて終わりにする。

 

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 ちなみに今回の教養論は当時書いた意見を基にそれから色々な思索を大幅に追加して書いたので一貫していることは「そんな教養は滅んでしまえ」という部分しかない。