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厄除けに行きたい…

虫が好かん。が、思うところはある。

 

 大分間が開いた。

 間が開いたが分かったこともあった。

 じき今の職場を出る予定ではあるが、ここに5年程居たことはこれまでの人生の中で非常に有意義な時間であった。

 プルーストではないが失われた何かを取り戻すことはできたのではないかと。

 それと同時に師や自身の興味関心のある分野でのささやかな交流を顧みて一つ分かったことがあった。

 「社会は好かん。」ということである。

 集団としての社会は今にして思えば幼少の頃から縁遠いものであった。

 一般的な子供は砂場遊びや鬼ごっこといったモノを通じて集団生活というものを学び始めるのかもしれないが、一人で積み木をしているのが予であった。

 この頃から登園拒否もしていたし、行って何かするよりも家でVHS を見ることに興味があった。

 かような人間が小学校に入ってもうまくいくはずもなく、意思疎通の苦手から虐めの対象にされそれでもこの中で生きていくために自身に嘘をつくようになった。

 蔑まれても馬鹿にされても笑うようにしていると人間歪んでくるものでこの歪みが暴力や不登校として時折噴出していたようである。

 以後中高も定期的に不登校になり、ただ人と距離を取って忘れるということが唯一の対処療法であった。

 アレルギーの症状と似ているように思う。

 そのために色々な人に迷惑はかけてきたと今にして思う。

 少し戻るが歴史、とりわけ伝記の漫画を読んでこの手のことに興味が沸いたのは小学校の時分である。

 初めて読んだ伝記漫画はジョンレノンで今にして思えば彼も恵まれない幼少期を過ごしており、それをどこか自分に投影させる自分が居たのかはたまた鬱屈な現実から歴史に救いを求めるように逃げていたのかは定かではないがこの辺りから人の歴史には興味を持つようになる。

 人を嫌って人の紡ぎたる歴史に興味を持つとは難儀であるなぁ。

 以降時折歴史や政治経済に関心が向いたり離れたりしていたが、何か思うところがあって関心が向いたときは少し勉めていたのであろう。

 

 とかく色々あったが今の師と接しているうちに今まで書いてきたことがようやっと自分で納得して解った次第である。

 

 小林秀雄は「政治というものは虫が好かない」とかつて言ったそうだがその先生の言葉を真似すれば「社会というものは虫が好かない」という具合であろうか。

 

 ただ某先生の講演会後の酒席で今後の執筆活動で小林秀雄の政治思想をやってみたいということを思い返して、 「虫は好かないが思うところはある。」と小林秀雄は思っていたのではないかと邪推してみた。

 

 それを組み合わせて「好かんが思うところはある」としてみた。

 

 さて今回は最近妙に耳に残るこの曲にしてみたい。

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 Roundaboutの意味を調べてみて成程まさに今の自分ではないかと笑ってしまうとともにこの自分を大事にしようと思う初夏。

 

 それではまたいつか。

 

 

 

?生きなさい?活きなさい?逝きなさい?往きなさい?

 

 職場の異動が半年延び、それを契機に色々なことを思い出して憔悴している。

 

 以前師と話をして人生とは結局意味のないものでありその場その場で何かに意味があるように思いながら持ち直し続けていくようなものであるからそこまで気を落とさぬようにと激励していただいたが、それを思えば思うほど自分が分からなくなってくる。

 ここで自分を思い返して気晴らししておこうと思う。

 

 幼少期から一貫して思うことはヒトの作るものに興味があったが、平静生きる周りのヒトには興味がなく集団で行動するという意識がなかったしまして友達を作ろうという気も起きなかった。

 反社会的というか非社会的であり、義務教育という集団への動員によって自分は影響を受けたというか歪んだ気がする。

 いじめという集団的暴力に打ちのめされ、その恐怖から自分自身の気持ちに嘘をつくことを始めたのも嘘をつき始めたのもこの頃でそれを長いこと続けていると人間歪んでくるものである。

 そういう意味で私を詐欺師とか扇動者と言って喝破したヒトは今のところ師以外にはいないのである。

 要は社会との接し方を間違えて変な順応の仕方をしたためにその弊害に苦しめられているが、それ以外の接し方を知らないために(あるいはできないために)それを止められずに永遠に苦しむという構図である。(中毒症状に似ているのか?)

 その弊害が私の場合は不登校や引きこもりとして現れ、一定期間無気力状態に襲われその鬱積をヒトとの接触を避けることによって忘れさせることでここまで来た。

 だから会社勤めができないであろうし向いていないと言う理由はこの自分の不安定さから来ている。

 

 正直言ってなぜ自分がここまで生きていられるのか不思議なのだ。

 いや生きていられるというより生かされているという実感が強い。

 もし神がいたとして私を苦悩させて生き永らえさせそれを見て楽しんでいるのだとすれば相当な変態である。

 まあヒトを超越しているのであればそういう感覚があっても不思議ではないが。

 

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 鬼平がアニメ化して見ているのだが昨今の時代劇は非常に追い詰められている感が否めない。

 役者の育成を誤ったのか(していなかったのか)、予算の制約によって作品が作れなくなったのか(生かす場がなくなったのか)、映像技術の発展で陰影の演出が難しくなって時代劇自体が作れなくなったのか。

 いずれにせよこの試みは褒めてあげるべきだと個人的には思う。

 こんな風に時代劇を見て思う若者はいないか…。

 

 

Journey OTALeTAO 札幌

 

 長いこと間が開いてしまった。

 二月は新しい職場への移動対策をしながら時折出かけるということで、ライブ観覧や北海道旅行に行き、帰ってきて少し休んだ処である。

 

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 まずJourney武道館ライブに行って二時間程見て楽しんできた。

 全盛期(スティーブ・ペリーがボーカル)がどれ程のものかは体験していないので分からないが、それでも観客は全盛期の世代の方々に交えて若者も少し混じっており彼らがどのようにしてここに至ったのかは興味深いと思った。(親に連れられた子供もいたが征服を着た高校生も散見したので)

 そしてその前後から予習として全盛期のアルバムを聴いたりしていたが、実際ライブを見ていて思ったことは他の公演に比べると今一つ声が出ていないという印象であった。

 もちろん一週間で全国を回っており今回行った武道館は終盤だったのでやはり疲れが出ていたのであろうと推察する一方で、ロックの発声はやはり白人の大きな体格に支えられているからであり、ボーカルのアーネル・ピネダが(別に人種差別や彼自身の歌が悪いとは思っていないしむしろ感動したのだが)フィリピン人であることを想起するとやはり体格の壁というものがあるのではないかと感じるとともにロック音楽は白人のものであるとしみじみ思った。

 

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 北海道旅行は小樽と札幌に二泊三日で行きそれぞれ一日半ずつ使って観光した。

 7年ぶりの家族旅行で行くことになったがこの先家族旅行はしないであろうということが今回の旅行の感想である。

 もはや我が家族は祖母や犬の世話、対外的な付き合いなしではまとまることが不可能になっていることを痛感し、そういうものがない状態で行った旅行の内実は悲惨であった。

 外に何かしらの意識を向けなければ内部崩壊が止まらないという有様である。(そこ、隣の某国に似ているとか言わないように!)

 

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 旅行の中で印象に残ったことは、ニッカウヰスキー工場やサッポロビール博物館を見学して領土を守るためには興業と居住が鍵ということである。

 サッポロビールの博物館の説明を読んでいて少なくとも明治時代には領土について真っ当な考え方があったということが確認できた。

 しかし皮肉にも今経済を潤わせているのは外国人観光客(特に隣の国々)が落とす金であり、外国人(あえて何人とは言わないが)の多さは昨年の香港旅行を思い出す程であった。

 とかく北海道旅行は見るべき所がたくさんあったしまた行ってみたいと思う。

 

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 今回は宿でなぜか聞きたくなり、リピートしたこの曲を紹介する。

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 これ以上書くと陰惨な内実を思い出すので近況報告も含めて今回はこの辺で。

 

 それではまた…。

 

 

 

 

 

ポンコツ化するアヒ

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 年末に体調を崩してから食欲が落ちたきり戻らず、幸か不幸かプチダイエットになっている。(誤差の範囲内だが)

 それで母親も自転車で軽い自損事故を起こし(わき見してガードレールにぶつかったのだが)、しかし端から見ていて結構危なっかしいとかねてから思っていたので案の定というか、まあ惨事にならずに良かったとホッとしている。

 最近朝の7時に目が覚めたり、夕方には眠くなってきたり、忘れっぽくなることが増えているアヒはとうとう家人からクソジジイと呼ばれている。

 それに対して妹をクソババアと私が罵り返して(実際音楽や食べ物の嗜好が婆臭いので)、それを母が老兄弟とかドングリの背比べとか茶々を入れるところまでがお決まりである。

 しかし豚骨がポンコツになると旨味も無くなるのでいよいよもって害悪であると痛感するのである。

 最近嫌なことが起きて、それが目につくようになるとこんなポンコツでも生きていることがある意味幸運なのではないかと思い始めた。

 生きているだけで幸運を使い果たして、それ以外のところで悪運が発揮されていると思うと難儀だなぁと自分の人生を想う。

 1月は忙しいので2月になったら1回厄除けににでも行こうと思う。

 

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 丁寧に間違いなく、無理しない。

 

 それではまた…。

最悪な年末と最高の初笑い

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 年末はとあることが原因で病床に臥せっており、ようやっと持ち直してきた具合である。

 昨年のうちに少し書いておきたかったがそんな状態ではなかったのでご容赦願いたい。

 体調を崩し、副業の信頼も失い、何よりその原因となった友を失い(私の意思で縁を切ることにしたが)年末には魔物が潜んでいるとは誰が言ったか忘れたがあるのだと痛感した。

 

 それで元旦に録画しておいた映画版アダムス・ファミリーを見ていたが、あまりにも面白くて続けて二つも見てしまった。

 

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 2017年初笑いにしては上々だったと思う。(特にこのシーンは秀逸である)

 

 

 それではこのテーマとともに

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2017改めてよろしくということでそれではまた。。。